立冬の通学路にて

湖・川・樹木・田んぼと自然満載の通学路を自転車で走ると、大学につく頃には無数の虫が前半身にしがみついている。
毎度一匹ずつつまんで飛んでいってもらうけどとても面倒くさいので、そんな気持ちを紛らわすため虫の立場になって言い訳を考えた。「ふらふら飛んでたら不意に何かにさらわれた。その何かがやっと止まって解放されたと思ったら、大移動したうえどこか知らない場所に放り出された。」
仕方ない。面倒くさいけど虫をつまんで飛ばし続けようと思った修士2年の宮本です。

そんな通学路の話を思い出したのも、丁度帰りの電車に揺られながらこのブログの内容を考えているせいなのですが、せっかくなので車内の様子を色々と観察してみました。

「同じ空間、個々の空間」

近頃よく言われているように車内をざっと見回すと、誇張なしに8割以上の人がスマホを操作しイヤホンで何かしらを聴いています。私もこの文字列をスマホに打ち込んでいるのでその一員です。車体だけが外と内の空間を分け、車内という同じ空間にいるはずの乗客が、さらに個々の空間を作り出しているようです。スマホで視覚を、イヤホンで聴覚を、五感のうちのこの二つが共有されていないだけで見えない境界が作り出されるように感じます。建築を考える、境界を考えるうえで、そこに居る人々の五感の絡まりをどう設計するのかも大きな要素となることが伺えます。

「一方通行のコミュニケーション」

そんなスマホだらけの大運動会が行われている車内で、「週刊少年ジャンプ」(少年漫画雑誌)を読んでいる仕事帰りの社会人の方がいて、私はそれを見て胸中が少し熱くなるのを感じました。電車に乗っていると偶にこういったことがあります。好きな漫画や小説を読む人、知っている参考書を読む人などを見かけると、知らないし話しかけてもない、ましてや目も合わせていない人なのに少し親近感が湧きます。不思議です。完全に一方的にですが境界が薄れたように感じます。一方通行であるこの現象が、一対一ではない車内において様々な方向に発生することで、個々の空間の境界も薄れていく気がします。ただしあらゆるものがスマホに収まる現代では、たとえ誰かが好きなものを見ていたとしても何をしているのか分からず、一方通行でさえ成立しないというのが悲しく感じます。

通学路にまつわる話でしたが、中高生の頃よくやっていた何気なく目にしたものが何なのか、何でそうなのかと友達と想像していたことをふと思い出しました。

皆さんの通学や通勤の道中では何が起こっているのでしょうか、、気になります。


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天井に張り付くような広告があった。座ってもみにくいし、真下で首を直角にして見上げるのだろうか。