秋らしくなってきましたね 

最近は暑さも和らぎ、だいぶ秋らしくなってきました。

空の様子も夏の空ではなく秋の空ですね。

9/23頃は、二十四節気では秋分に当たります。

秋分では昼と夜の長さがほぼ等しくなり、これからは昼の長さが徐々に短くなっていきます。

それにしても、二十四節気という季節の微妙な移り変わりを捉えようとする日本人の心ゆきには趣を感じますね。

現代でも、細かな季節の移り変わりを感じ取れるような人間でありたいものです。

B4.櫻井

秋の琵琶湖と空

追伸

建築家の0-1説について

世の中には設計者と建築家という言葉がある.職能としての両者の区別は曖昧であり,人によりその判断は異なるのではないだろうか.そのうちの一つの考え方として,この0-1説を提言する.

建築家の0-1説とは,「設計者を1から100をつくる存在とするならば,建築家は0から1をつくる存在である」という考えである.この考え方に肉付けをすると,作曲家や芸術家や著作家は0をつくる存在であり,デベロッパーは100を1000にする存在であり,科学者は100を∞にする存在であり,映画監督は0.5から1.5をつくる存在である(数値は全て感覚的なもの).

設計者には0から1をつくりだす必要はなく,むしろ1を100にする事が求められる.それに対して建築家は,0から1をつくりだす事にこそアイデンティティを発揮しそこに価値を見出そうとする.ただ単に0から1をつくり出せば良い訳ではなく,どのように0から1をつくり出すのかに腐心することを厭わない.勿論,建築家は1から100をつくる設計者を自身の中に内包する存在である.ここで言う0とは挙げればキリがないが例えば,敷地やその地の歴史・文化・気候・風土 etc…である.そもそも,建築は物の組み合わせにより成り立つものでその構成要因の物も0であり,また,敷地無しの建築が三次元空間上に成り立たないように,0がなければ1をつくることはできないのである.だから,建築家は0をつくることに腐心する必要はない,と言うよりも,0をつくることは不可能だし0をつくってはいけない.0をつくるのは作曲家や芸術家や著作家の仕事であるから.自分にはここに建築学が工学の分野に属する所以があると感じられる(日本において).建築が建築になる前の根源は,強・用・美で考えれば用であり美ではなく思えるように.

こう考えると,自分の作曲家や芸術家や著作家に対する憧れのような尊敬の念にも説明がつくし,映画監督はやはり面白く魅力的な存在である.